空手の道で生きて行くと心に決めたオレは修行の為、
夜行列車に飛び乗り一路東京を目指した。
目的地だった東京でオレは運命的にS道場の館長である
添野義二先生と出会うことができた。
オレは添野館長の下で空手の修行に明け暮ていた。
実際この頃の修行は半端じゃなくきつく、
100人の練習生の中で1年後に残って居るのは精々1人か2人くらいなもんだった。
その修行を続けていくことにより、
オレは空手家としても、人間としても向上させて頂いたと今でも感謝している。
添野館長の下で数年間の修行後、さらに高いレベルと広い視野を持とうと海外に目を向け
世界各国(ギリシャ、アメリカ、ブラジル、ペルーなど)での武者修行へと旅立った。
帰国後、東京で空手を広めようと思ったが、
出身地の大分に残した親が急病になり急遽帰郷しなければならなくなった。
しかし、空手のすばらしさをたくさんの人に気づいてもらうため
地元の大分で親を看病しながら道場を開き、大分の若者達に空手を教えはじめた。
道場でたくさんの若者達と接している内に
道場の父母達から子供の非行や教育について相談されるようになった。
たくさんの子ども達とたくさんの親達が悩み苦しんでいることを知ったオレは
自らの体験を基に青少年の非行や教育問題に真剣に取り組むようになっていった。