私のいとこである龍二はとにかくワルだった。
中学生の時からダンプカーで運動場を走り回ったり、
正月にはテキヤで焼きイカを売っていたりで、まったくデタラメな生活を送っていた。
親は警察に呼び出しを受ける毎日。龍二はシンナー遊にふけったり、
喧嘩三昧の日々を送り、ついには暴走族の頭になっていた。
そんな生活をただ毎日送る龍二を何とか更生させようと、
当時人格者で有名になっていた私の友人で、現無心の代表でもある
佐藤徳寿氏の下へ連れて行った。
最初は嫌々ながら通っていた龍二だったが、
佐藤徳寿氏の下でまじめに働きながら空手を学んだ。
そんな日々を送るうちに、あの手のつけられなかったワル・龍二が
次第に礼節をわきまえるようになっていった。
それは龍二の努力もあったが徳寿氏の有り余る情熱や、
ワルの龍二を理解してくれる深いやさしさに助けられたからだと思う。
さらに空手の修行を続けるうち、龍二も力が強く体が大きいだけでは対処できない
格闘技の奥の深さを知って行った。
それと同時に、元来持っていたと思われる純粋な格闘家としての本能に火がつき
更なる技術・精神力の向上を目指すようになった。
そんな龍二を見ながら、人間は出会いによって本当に変われるものなんだと感心し、
佐藤徳寿氏に引き合わすことが出来た事を本当に感謝した。
格闘家としてのセンスの良さと体の大きさ、
そして何より佐藤徳寿氏の下で培ってきた精神力もあり、
格闘家としてだけではなく人間としてもメキメキ成長していった龍二。
そんな龍二を見て様々な格闘家を育ててきた佐藤徳寿氏は
彼に将来を大相撲にかけるよう諭した。
佐藤徳寿氏の勧めで角界に入った龍二は、四股名を千代大海として
精進を重ね見る見るうちに出世していった。
ついには幕内優勝3回を含め立派な大関として現在も頑張っている。
大分で札付きのワルだった龍二も佐藤徳寿氏との出会いによって
角界を代表する力士となり、大分を代表するすばらしい人間になったと感心した。
今の龍二は1人の格闘家として、
いや1人の人間として、尊敬する佐藤徳寿氏と共に数々の福祉活動に精力的に協力し、
全国を飛びまわっている。
もちろん、青少年育成支援 無心への協力もおしまない。
佐藤徳寿氏をはじめたくさんの方々に応援され支え続けられた一人の青年は、その役割と志を引き継ぎ、今たくさんの人達に夢と希望をあたえている。
※余談だが、龍二は若い頃に迷惑をかけた両親に
新居をプレゼントし 今も親孝行に励んでいる。
言葉だけでは伝わらない事がたくさんある!
今こそ、ひとりひとり思い出してほしい。
あなた方が一番思い出に残っていて、
感謝している人はどんな生き様だったか?